四、亀裂(2)

 進展があったのは、太陽が中天にさしかかったころのことである。現場に派遣した者たちが戻ってきた。さすがに休めとミミに言われて瑠璃姫は自室にいたが、その報告を受けるとすぐに部屋を飛び出した。

 

 廊下を走り、庭園を突っ切り、城門近くの広場に出ると無数の人影が見える。そのうちのひとつが動いた。

 

「瑠璃姫さま」

 

 セヴランだった。彼の連れている兵のなかにも火や毒にやられた者がいるようだが、本人はどうやら無事らしい。ところどころ(すす)や砂や血で汚れている以外は、とくに異常は見当たらなかった。

 

「セヴラン、ご苦労。無事でよかった」

「恐れ入ります」

「状況はどうだ?」

「被災者はすべて施療院(せりょういん)や仮設の診療所に収容いたしました。毒もそろそろ抜けてきたと見えて落ち着きを取り戻しつつあります」

 

 受け答えもしっかりしている。瑠璃姫はひとまず胸を撫で下ろして、周囲を見回した。

 

「……ベルナールは?」

「まだ、現場(あちら)に」

 

 そう言ったセヴランの目がわずかに泳いだのを、瑠璃姫は見逃さなかった。

 

「無事なんだよな?」

 

 答えはすぐに返ってこない。じっと見つめていると、やがて諦めたように天を仰いだセヴランは、嘆息(たんそく)してから低い声で言った。

 

「これはお伝えしないようにと強く言われていたのですが……いくらか、負傷しておられます」

 

 息を呑む。口を開いたが、うまく言葉が出てこなかった。

 

 聞きたい。けれど、聞きたくない。どこをどう負傷したのか、いまどんな状態なのか。不安は渦巻くばかりで吐き出せず、ただ喉の奥を小さく震わせるだけである。呼吸さえままならなくなってきたそのとき、

 

「……たとえば私が日々の辛苦に耐えきれず、ついにあの方を手にかけようとしたとして」

 

 と、唐突にセヴランが言い出したので、瑠璃姫はわけがわからず首を捻った。セヴランの平坦な声は続く。

 

「素直に死んでくださるような御仁だと、瑠璃姫さまは思われますかな」

 

 あまりに露骨なたとえに驚き、思わず声が出た。

 

「思わない」

「で、ございましょう」

 

 頷くセヴランの目もとがなんとなくやわらかく見える。それで理解した。つまりこれは、彼なりの励ましなのだろう。大丈夫だ、と、言ってくれているのだ。

 

「そうか。……そうだな」

 

 うまくはぐらかされたような気がしなくもないが、おかげでまともに話せるようにはなった。

 

 そうだ、大丈夫だ。すぐに戻ると言ったのだから。それに、彼がいない間この王宮を守るのが自分の役目ではないか。

 

 こんなことで動揺してどうする。

 

 瑠璃姫は大きく息を吐いて、もう一度視線を巡らせた。

 

 戻ってきた人数はそう多くない。おそらく負傷者を優先的に引き上げさせたのだろう。近づいて声をかけながらよく見てみると、明るい陽の下だというのに瞳孔が異様に開いている者がいるのがわかる。これもダチュラに含まれる毒の作用のひとつだ。

 

 と、そのなかに、やけに低いところで揺れる頭が見えた。

 

「子ども?」

 

 十をひとつふたつ超えたくらいの少年である。その腕が縄で拘束されていることに気づいて、瑠璃姫は振り返った。

 

「セヴラン、あの子は」

「重要参考人でござる。此度(こたび)の災害は人為的に引き起こされたものと考えられますゆえ……と言っても、ほとんど保護の目的で連れて参りました。拘束は自傷行為を防ぐためのもので」

「自傷?」

「毒によって錯乱しておりました。いまはだいぶ落ち着いたようですが」

 

 セヴランが合図をすると、副官が少年を瑠璃姫のまえまで連れてきた。なるほどたしかに、彼の目もほとんど瞳孔の黒に染まっている。普段は薄い琥珀色(こはくいろ)なのだろう、わずかに見える虹彩が、うっすらと涙に濡れてきらめいていた。

 

「……熱があるな」

 

 瑠璃姫は膝を折って、そっと少年に触れた。いたるところに血が滲んでいるのが痛々しい。少年はぼんやりと瑠璃姫を見ると、新たな涙を流して嗚咽(おえつ)した。

 

「ご、ごめ……っ、ごめんな、さ」

 途切れ途切れに少年が言う。

 

「……おれっ、おれの、せいで……リューが……リューが……!」

 

 だれか、大切なひとを失ったのだろうか。かける言葉が見つからず、瑠璃姫は少年の汚れた髪を撫でた。こうして断片を知るだけでも、なかなかつらいものがある。だがそのあとに続いた告白を、聞き逃すことはできなかった。

 

「おれがっ、花畑に行こうなんて言わなきゃ……っ!」

 

 花畑。

 

 そういうことか。この少年は、たぶんこの事件に深く関わるなにかを見たのだ。だから「重要参考人」、そして同時に「保護対象」として確保された。

 であるならば、個人的にも聞き出したいことはたくさんある。

 

「セヴラン」

「はい」

「この少年、わたしが預かってもいいだろうか」

 

 セヴランはしばし考えて、

 

「陛下からは保護せよという指示しか受けておりませんので、まあよろしいのではないかと存じます。念のため警護は強化させていただきますが」

 と首肯した。

 

「わかった。では手配を頼む。……すまないな、仕事を増やして」

「いつものことでございますれば」

 

 しれっと言う。これには苦笑して、瑠璃姫は少年に向きなおった。

 

「もうすこし我慢してくれ。おまえの安全が確保できたら、拘束を解くから」

 

 まだ泣きやまない少年は現状を把握できていないようだ。それも当然だろうと思いながら、問いかけた。

 

「名前は言えるか?」

 

 少年は戸惑う様子を見せたあと、ややあって

 

「……ソラン」

 と素直に答えた。