一、誕生(1)

 七世紀初頭、我らが日本においては聖徳太子が激動の東アジアに対応するための国づくりを進めた時代、アラビアではムハンマドが天使ジブリールより啓示を受け、ヨーロッパではパンとサーカスの終焉を迎えた時代、そのすべての影響を受けるような場所にありながら独自の道を歩み続けていたドラグニア小大陸の南西部に、ウルズ王国は存在した。

 

 さほど広い国ではない。面積と形は、現在のルーマニアがそれに近いといえよう。日本の本州を、太った楕円形にしたようなものと考えていただければよい。広くはないが気候に恵まれた豊かな土地で、古い歴史を持つ大国といえた。

 

 なかでもとりわけ重要な西の港湾都市カルタレスの領主城内に、産声が響いた。六〇五年、十二月二十五日のことである。赤児の名を、エヴェルイート=レンス=ジェ=ブロウトという。

 

 これより七年ののちに生まれるアウロラ姫の、事実上の許嫁(いいなずけ)であったと伝えられる。たしかに、それに足る血筋のひとであった。もともとブロウト家は王家に連なる家柄であったし、なにより母親は当代の王の妹であった。当代の王とはアウロラの父のことである。すなわち、ふたりは従兄妹(いとこ)どうしであった。

 

 さて、早速の脱線で申し訳ないが、本書の主役たるアウロラ姫にはそのうち活躍してもらうとして、本節よりしばらくはこの姫の従兄に焦点を当てたいと思う。アウロラの生涯を語る上で切っても切れない彼の人生もまた、その誕生からすでにドラマティックなものであった。

 

 エヴェルイートといえば美男子として有名であるが、容姿も血筋も申し分ない貴公子であったはずの「彼」には、実は秘密があったのである。

 

 

 

 

 

 

 出産の介助を行った年配の侍女が、慌ただしく城主を呼ぶ。カルタレス領主であり、いままさに父となったばかりの城主ヴェンデルは、侍女の報告に動揺を隠せなかった。

 

神子(みこ)であらせられます」

 

 告げる侍女の声は震えている。ヴェンデルも震えそうになる足を叱咤して、妻の待つ部屋に入った。なかにも一名、若い侍女が控えており、奥の寝台には上半身だけを起こした妻の姿が見えた。

 

「アリアンロッド」

 

 名を呼べば、汗ばんだ頬に笑みを浮かべる。その腕のなかに、たしかに生まれたばかりの我が子がいた。

 

「抱いてごらんになりますか」

 

 妻の言葉に頷いて、子を受け取る。ひどく頼りない感触に慌てた。妻が笑うので、

 

「赤児がこれほどおそろしいものとは思いませんでした」

 とヴェンデルもぎこちなく笑った。

 

 息を凝らして我が子を見る。顔立ちは妻のほうに似ている。美しい子だ。なにかを探るように動く小さな手も、ときおり父の腕を蹴る足も、すべてが健やかで愛らしい。なにも問題はないのだ、ある一点を除いては。

 

 何度たしかめても同じだった。ヴェンデルには、子の男女を判別することはできなかった。

 

 ヴェンデルは苦悩した。

 

 半陰陽の子どもは、親のもとで育つことを許されない。いずれ聖職の最高位につくために、教会に引き取られるのである。それは本人にとっても輩出した家にとってもたいへんな栄誉であり、信徒としての義務でもある。だが、王室より妻を迎えて四年、待ち望んだ我が子であった。

 

 ヴェンデルは子の未来を思った。神の代理人として信徒の声を聞き、祈る。それはきっとおだやかな日々であろう、けれども、聖都の外を知ることもなく、自分の将来すら神に委ねることが、果たして幸福といえるのか。とはいえ俗世で育っても、この血筋である、いつ王権争いに巻き込まれて命を落とすやも知れぬ。いずれにせよ、出自に縛られることに変わりはないのだ。

 

「旦那さま」

 

 侍女たちが、諌めるようにヴェンデルを呼ぶ。覚悟を決めねばならなかった。

 

「アリアンロッド、この子は、……」

 

 教会に、引き渡さねばならぬ。わかっている。わかっているのに、我が子を手放すことは、どうしてもできなかった。

 

「あなた」

 

 逡巡するヴェンデルの手に、妻がそっと、その手を重ねた。

 

「あなたがいま、なさろうとしていることをなさいませ。どうしてだれかが咎められましょうか。子のしあわせを願う親が、悩み抜いて見出した最善の道です。それ以上のものがございますか」

 

 ヴェンデルは妻を見た。妻は誇らしげにほほ笑んでいた。次いで、ふたりの侍女を見た。若いほうの侍女がため息をついてから、言った。

 

「旦那さま、お覚悟なさいませ」

「ウリシェ」

 

 ヴェンデルの乳兄弟でもある彼女は、臆することなく続ける。

 

「お子や奥さまは、これから必ずご苦労なさいます。旦那さまが後悔なさることもございましょう。それに、わたくしたちの被る迷惑を、さすがにお考えになっていないわけではございますまい」

 

 淡々としたもの言いには口を挟む余地もない。

 

「まあ、このようなご主人を持ったことがわたくしたちの不幸でございました」

 

 と、若い侍女は同意を求めるような視線を横に送った。それを受けた年配の侍女は困ったように、だがどこか楽しげに笑っている。妻までもが、いつの間にやら細い肩を震わせていた。

 

「それで、旦那さま」

 

 女たちの視線が集まる。

 

「お子は、男児でしたか、女児でしたか」

 

 強い女に囲まれると、男は苦労するものである。ヴェンデルは苦笑し、いま一度しっかりと我が子を抱きなおすと、声高に宣言した。

 

「みなに伝えよ、ブロウト家に嫡男が誕生したと!」