十一、炎を灯せ(2)

 ここを転機と見る歴史家は多い。なるほどたしかに、それまでのウルズ王国では考えられない光景がそこにはあった。奴隷階級の少年が貴族階級の大人たちの中心で熱弁を(ふる)ったということも異常だし、パルカイ民族で由緒ある家に生まれたスハイルが異民族の女性への愛を堂々と告白し、それを周囲が受け入れたということも異常である。さらに驚いたことに、この夜、ウルズ貴族たちは奴隷の少年や春の一座の面々を作戦会議の場に招いたのだ。


「……いや、なんで?」
「だってキミが言い出したことでしょ。まぁこれも経験だと思って」
「言い出した者がなにもかも押しつけられるというのは大人社会の常識だぞ。いまのうちに覚えておいたほうがいい」


 絶句する少年に、ユライとスハイルが地図を睨みながら言う。山瑠璃、七星(ナナホシ)、それからアイザックとニコも、並んで首を縦に振った。負傷した花梨(カリン)だけはこの場におらず、べつの部屋で手当てを受けている。


「最終的にみんなで脱出することを目的として……それをどうすれば円滑に行えるかだよね。あとどうせならヴェクセン軍に嫌がらせしたい」
「城外に出ている者もいるからな。うまく回収して……ついでにヴェクセン軍に一矢報いてやりたい」


 前者がユライ、後者がスハイルの意見である。それらに対して、山瑠璃が提言した。


「それなら、春の一座の出番ですわね」
 誇らしげに胸を張る。七星もその隣で尻尾を立てた。


「一流の芸に足を止めない人なんていませんもの。わたしたちが敵の気を引いている間になんとかなさって」
「それは駄目だ」


 語尾にかぶせるようにスハイルが言った。

「そんな危険なことをさせられるか」


 たしかに危険だ。だが、少年も山瑠璃の意見は悪くないと思った。


「やろう。他に気を引く方法っていったら、軍隊を動かすとかそういうことになるんでしょ? それじゃ意味ないし、ヴェクセン軍がおれたちを傷つけることはないと思う」
 少年が言えば、


「まあね。わざわざ民衆を怖がらせるような真似はしないだろうね。むしろ味方につけたいと思ってるだろうから」
 とユライが首肯した。


「だがな」
「スハイルさま」


 なおも渋るスハイルに、山瑠璃が食い下がる。


「わたしはずっと、この瞬間を待ち望んでいたんです。こんな大舞台に立つ機会、めったにありませんわ。それをみすみす逃せとおっしゃるの?」


 真剣で、燃えるような目をしていた。知らなかった。山瑠璃には純粋な、芸事に対する情熱があったのだ。


 それをスハイルも感じ取ったのだろう。少年が十回(まばた)きをする間たっぷり悩んでから、


「……わかった」


 と押しつぶしたような声を出した。


「だがおれも一緒に」
「却下」
「おい、ユライ」


 苛立(いらだ)たしげに振り向いたスハイルにユライが詰め寄る。


「キミ、馬鹿? あ、ごめん馬鹿だったね。あのね、いちばん出て行っちゃいけない人なんだよ、キミは」
「それはなんとなくわかる」
「なんとなくかよ。……まあ、だからつまり、キミには他にやるべきことがあるでしょってこと」


 盛大にため息をついた。それからすこし調子を変えて


「僕が行く」


 言った。


「キミの大切なものは、僕が守るから」


 ユライの左腕で緑色の石が光った。スハイルは黙ってそれを見て、やがてゆっくりと頷いた。


「……頼む」
「あとで賃金請求するからね」
「おい」


 というわけで、花梨を除く春の一座全員が、この陽動作戦に参加することになった。こうなったらもうとことん、派手にやってやりたいところである。少年たちが具体的にどうするかを考えはじめたとき、領主ヴェンデルが口を開いた。


「城を焼けばよい」
「なんて?」
「城を焼く。派手でよかろう」


 そう言う顔はどこか楽しげですらある。ああ、とその意図を理解したらしいスハイルが、困惑する少年たちに説明した。


「見たところヴェクセンの艦隊はすべて櫂船(かいせん)だった。あの手の船は速くて制御もしやすいが、補給物資を多く積めない。だから長期戦を想定した場合、通常は輜重隊(しちょうたい)を抱えた陸軍と連携するか、積載量の多い帆船を使うのだ。そうしなかったということはつまり、やつらは最初から我々があっけなくやられると踏んで、物資を現地調達するつもりだったというわけだな」


 なるほどそういうことか。少年は得心してその先を継いだ。


「だから、自ら焼いて敵の補給を断つ。……ってことだね」
「そういうことだ」


 おまえはなかなか頭がいいな、とスハイルが少年の頭を軽く撫でる。


「あれ、でもじゃあ、補給物資持った陸軍がどこかから来てる可能性もあるんじゃないの?」


 とスハイルの手を払う少年に、答えたのはユライだ。


「それはないね。陸路だとアロン山脈を越えてくるか、東の国境に接するイクシャ王国と聖都アルク・アン・ジェを通過してくるしかない。ただでさえ厳しい山脈をこの寒い時期に越えてくるなんて馬鹿なことはしないだろうし、イクシャはともかく、ヴェクセンと仲の悪いアルク・アン・ジェが彼らに協力するとは思えないもの。どちらにしても、連携には無理があるしね」

「へぇー……ユライもちゃんとまともに考えられるんだね」
「あっはっは。……このガキいまなんて言った?」


 だいぶ失礼なことを言った自覚はあるが、まあいいかと少年は開きなおった。この短時間でユライに対する印象はだいぶ変わり、いまや親しみさえ感じている。


「まあいいけどさ……とにかく、この先援軍が来るとしても、みんなここから上陸するはずだよ。唯一の海の玄関口だから」
「そっか。じゃあここが焼かれてたらあいつらすごく困るね」
「困る」
「困るな」


 全員、顔を見合わせた。


「……焼いちゃう?」
「焼こう」
「焼くしかないね」


 少年、スハイル、ユライがそれぞれ頷いた。しかし、やはりすんなり決定というわけにはいかないようだ。反論と、それに対する反論が飛び交う。しばらくして、それらを黙らせたのはヴェンデルのおだやかな目だった。


このとき彼が口にした言葉を、少年はのちに著書のなかに記し、後世まで伝えることとなる。


「たとえ帰る場所がなくなろうとも、我々が失うものはなにもない」


 しばしば悩める現代人の背中を押すこの言葉は、当時の人々の心にも同じように届いたのである。