十二、「バイバイ。」(2)

 なんという幸運。そこはおあつらえ向きの中央広場。ヴェクセン軍が呼んだのか、民衆も集まってぐるりと広場を囲んでいる。舞台は広く客席も満員。これ以上なにを望むのか。


 一世一代、大舞台の幕開けだ。


「さあさあ、みなさんお待ちかね! 春の一座の特別公演だよ!」


 少年の掛け声と同時に、七星が馬から飛びおりた。持っていた太鼓を高く放り投げ直後に倒立、したかと思えばそのまま二回、ダイナミックな回転技を決め地面を蹴る。空中で太鼓をキャッチしながらくるりと反転、鮮やかに着地を決めてトン、とひとつ拍子を取った。それを合図に山瑠璃がふわり躍り出て、ひらひら、ひらと衣装を揺らす。華麗に、可憐に、妖艶に。七星の刻む拍子に合わせて鈴を鳴らし舞うその姿は、咲き誇る花そのものだった。


「何者だ!」


 と騒ぐ客には自己紹介を。


「おやお客さん、ご存じない? 春を愛し、春に愛される芸人一座。春の一座をどうぞよろしく」


 舞台を大きく横切りながら、ユライがほほ笑み観客たちの兜を撫でる。優美な仕草は魅力的だけれど、少年が松明を派手に振り回すものだからそこかしこで悲鳴が上がった。


 その間に聴こえてきたのは笛の音だ。はてどこからと見渡せば、銀色の瞳の青年が、横笛を構える凛とした姿。


「へぇー、やるじゃん」
「いや駄目だねあれは。笛が悪い。まあ腕もそんなによくないけど」
「厳しいね、ユライ」
「僕が教えたからね」


 言うや否や帯に差した笛を取り出し、アイザックの旋律に重ねる。なるほどさすがに言うだけあって、香るような音色は数段上手(うわて)……のような気もするが正直よくわからない。


 さてとくに芸のない少年はどうしたものかと思っていると、突然その身を掻っ攫われた。気づけば宙に浮いていて、まるで棒かなにかのようにくるくると回されている。その軸となっているのは人の腕だ。ひとしきり回されたあとストン、と馬の背に落ち着いた少年は、そこでようやく自分を攫った犯人を見た。つるりとした頭に赤い髭、糸のような目の無口な巨漢。


「おじさんすごいね」
 少年が目を輝かせると、巨漢は


「ニコだ」
 とだけ言って馬を下り、なんとそのまま馬ごと少年を持ち上げた。


「おじさんすごいね!」
「ニコだ」


 観客たちがざわめいているのはその怪力に感嘆したからか、それとも圧倒されたからか。だがこのくらいで驚いてもらっては困るのだ。とっておきはまだこれから。クライマックス、ど派手な大仕掛けが待っている。

 

  花が咲くのはだれのため?
  鳥のため
  蜜蜂のため
  それとも愛しいあなたのため?
  いいえそれはわたしのため
  春を夢見るわたしのため

 

 舞台の中央、山瑠璃と七星が息を合わせて踊りながら詩を口ずさむ。節はつけず、笛の音にそっと乗るように、太鼓と鈴で拍子を刻んで乙女の春を紡いでゆく。

 

  風が吹くのはなんのため?
  小さな恋を届けるため?
  いいえそれは雲のため
  自由に旅する雲のため

 

 即興の踊りや音楽。でたらめな構成。ありあわせの舞台。

 

  花のなかにわたしを見よう
  風とともに明日を見よう
  それは新たないのちのはじまり
  目覚めの宴

 

 けれどそこにあるのは、たしかな熱。

 

  その名は春

 

「さあさ、みなさんご注目! この手にあります小さな炎。これがパパッと飛び散って、咲かせますのは赤い花。みなみなさまの御前(おんまえ)に、大きな花を咲かせましょう」


 ただ、それだけを胸に、少年は舞台中央に立った。


「これができたら拍手喝采!」


 楽器を松明に持ち替えて、山瑠璃と七星も両脇に立つ。風が吹いて、灯りが揺らめく。いたずらな笑みを浮かべてから、乙女たちはそれを放り投げた。


「三!」
 空中で交換された松明が、再び手のなかで明るく光る。


「二!」
 くるりと回った足を追いかけ、光が大きな円を描く。


「一!」
 それが激しくぶつかって、次の瞬間。


 背後に(そび)えるカルタレス城から、炎が上がった。


 夜空を、町を、人々の頬を赤く照らして、煌々(こうこう)と燃える「ドラグニアの真珠」の核。それは、この舞台唯一にして最大の仕掛けであり、「撤退開始」の合図でもあった。


 派手な演出は、侵略者の心をも掴むのだろうか。ヴェクセン兵たちは呆然と、巨大な炎を見上げていた。だがそれもつかの間、いち早く夢から醒めた者が雄叫びとともに剣を抜く。


「き、き、貴様らっ! 春の一座と言ったな! ではベルナールの一味か! これはベルナールの策か!」


 カチン、ときた。興奮しきった剣先がこちらを向いたが、それも気にならない。


 ベルナールの策、だと?


 ウルズとヴェクセン、両国の内輪揉めに巻き込まれて、絶望しかけたところをなんとか立ち上がって、みんなで必死に考えて、生きることをまだ諦めずにいる、その美しさを、よりにもよって、自分たちをこの状況に追い込んだ男の策によるものだと?


「っざけんな、ばーーーか! おれたちがやりたくてやってんだよ、文句あるか! だいたいあんた考え浅すぎんだろ! 頭からっぽなんじゃねぇの、ばーーーか!」


「なにをう!?」


 炎とは違う、硬質な光が閃いた。それが少年の頭上に振りかざされた瞬間、横から現れた影がヴェクセン兵ごと薙ぎ倒す。


「ユライ!」
「お馬鹿。挑発してどうするのさ」


 馬上からユライが手を伸ばした。その手を取りながらほんのすこしだけ反省する。


「ごめん」
「でも、まあ、よくやってくれたよ」


 そう言ったユライの顔がわずかに曇ったことに少年は気づいたが、


「……こうなるんじゃないかとは思ってたんだ」


 その言葉の意味を理解することは、できなかった。

 いや、理解したところで、どうしようもなかったのだろう。


 短く甲高い音が響いた。そのとき、馬に乗った少年の瞳に映ったのは、突如降り注いだ無数の矢に倒れるヴェクセン兵たちだった。


「え」


 なんだ。なにが起きている。


 敵が攻撃されている。そうだ、倒れてゆく。だが、そんなことがあり得るだろうか。だって、味方はみんな逃げたはずなのに。先に行って待っているはずなのに。


 絶句する少年が続いて見たものは、広場の横の道から、建物の影から、次々と現れる武装した人々の姿だった。あれは……あれは、カルタレス城の人々ではないのか。どうしてそこにいるのだ。先に行ったはずの人たちが、どうして甲冑を身につけ、そんなところにいるのだ。


「……なんで」


 逃げると決めた。みんなで生き延びようと、言ってくれた。なのになぜ。


 民衆が混乱して逃げ惑い、転び、泣き、血を流す。それを助けようとしたカルタレス兵が、敵の刃に倒れた。


 どちらが有利かなんて考えなくてもわかる。


 これでは。
 これでは、みんな。


「みんな死んじゃうよ!」
「それを選んだんだよ、あのひとたちは」


 ユライの声が、静かに耳朶(じだ)を打った。その直後、眼前に迫った剣を弾き、斬り伏せたのは、片足を引きずる壮齢の戦士だった。


「ヴェンデル卿」


 ユライが、そのひとの名を呼ぶ。領主ヴェンデルはこちらを見て、


「行きなさい」
 とかすかに笑った。


 もし、少年に親というものがいたのなら、こういう顔で送り出してもらう日もあったかもしれない。そんなことを、思ってしまうような、ほほ笑み。


 ユライが黙って頷き、馬首を巡らせた。


「待って! ねえ、ユライ!」


 手を、伸ばせば届く、距離だった。でも、少年たちを乗せた馬は、すでに動き出していた。


「待って!」


 願いは聞き入れられなかった。ユライは口を結んだまま、先ほど来た道を駆け戻りはじめた。