ドレスと男気(1)

「そう怖い顔をなさるな」


 とベルナールは軽く両手を上げるが、エヴェルイートに言わせれば「怖い顔」をしているのはベルナールのほうである。話を聞かれていたのか。だとしたら、いったいどこから。その表情から読み取ろうとして凝視すると、ベルナールはこちらを見て笑みを深くした。


「ただ、頼みがあってあなたがたを探していただけだ。偶然、なにかを聞いてしまったとしても、責められることではあるまい?」


 座ってもよいか、と訊くベルナールに、答えたのは父ヴェンデルだった。


「これは、失礼いたしました。どうぞ」
「ありがとう」


 父の引いた椅子に悠然と腰掛けたベルナールは、まるで祈るように手を組んで長く息を吐いた(余談だが、彼らの宗教における祈りの動作は指を交互に絡めるように組むのではなく、片方の手を握り、その手の甲を包み込むようにもう片方の手を添える)。それから目を閉じ、話し出す。


「先ほど、我が国の者がまたひとり、肉体を捨てた」


 みな、息を呑んだ。つまり、これでヴェクセン帝国使節団の死者はふたりになったというわけである。ますます、なにを言われるかわからない。しかし、そんなウルズ王国側の危惧に反して、ベルナールは至ってふつうの要求を口にした。


「ついては、葬儀の手配をお願いしたいのだが」


 そう言うベルナールの表情は、純粋に死者を(いた)むもののようにも見える。本心か、演技か。エヴェルイートは困惑し、緊張した。


「……断る理由もございますまい。紅き剣(ヴェクセン)の兄弟のため、我らも祈りましょう」
「お気遣い、感謝する。蒼き義人(ウルズ)の兄弟よ」


 父ヴェンデルとベルナールは、表向きは平静に、こういう場合の決まり文句を交わしている。


 ここですこし余計な説明をしておくが、当時のドラグニア小大陸では、火葬が一般的であった。「人間は罪深きものであり、本来ひとつであるべき男女が分かれた体そのものが、その罪の具現したものである」とする彼らの神の教えについてはだいぶまえに軽く触れたが、覚えておいでだろうか。

 

 彼らにとって、肉体は不名誉で穢れたものであった。だから、焼いてしまうのだ。ただそれには例外があって、彼らの精神的指導者である神子、すなわち「男女」という枠に当て嵌まらない身体を持って生まれた人だけは、焼かれない。生前と同じ姿で永遠に祀られるのである。つまり、ミイラになる。この物語の時代よりだいぶ下って、十五世紀初頭にキリスト教圏の国々が次々とこの小大陸に攻め込んできたとき、彼らの宗教が徹底的に弾圧されたのは、おそらくこのあたりにも理由がある。

 

 筆者は、日本人らしくおおらかな宗教観を持っているため、彼らの教えや風習を否定するつもりはない。むしろ数年前に上野の特別展で見た、やけに美しい神子のミイラや副葬品には畏敬の念すら抱いたし、火葬の手順や道具を紹介する展示品の数々には親近感を覚えた。


 さて、では本題に戻る。結局、ベルナールは葬儀の手配しか要求しなかった。


 なんだか拍子抜けしたようになったエヴェルイートらウルズ王国の要人たちは、肩を落とすベルナールに軽く言葉をかけてから、あっけなく解散した。もちろん、これで安心を得たわけではないが、いまはこれ以上なにを考えても無駄だと判断したのである。エヴェルイートもひどく疲れていて、もう自室で横になってしまおうと思っていた。が、そうさせてくれないのがベルナールという男である。


 みなと別れてひとりで自室に向かっていたはずのエヴェルイートは、なぜかその途中で(くだん)の男に捕まっていた。


「なぜあなたがここにいる、ベルナール卿」
「や、エヴェルイートどの。すまぬ、迷った」


 片手を上げてにっこり笑うベルナールに対して、エヴェルイートは舌打ちしそうになるのを辛うじて我慢した。


「あなたは馬鹿か。ここに来て何日経った?」
「うむ、いままでで一番辛辣だな。だがよい!」


 なぜそこで喜ぶ、ということはあえて訊かないことにした。もう面倒臭い。べつに、エヴェルイートもベルナールが本当に迷ったとは思っていない。だからこそ厄介なのだ。


「……で、どちらまでご案内すればよいのだ」
「さすが、話が早いな。では、礼拝堂まで」


 エヴェルイートは一瞬、肩を震わせた。カルタレス城内にある礼拝堂はそれなりの広さがあり、現在は負傷者の治療所として使っている。先ほど亡くなったというヴェクセン帝国の使者も、そこにいるはずなのだ。


 エヴェルイートは、ベルナールの目を見た。およそ普段の様子とはかけ離れた、静かな目をしていた。


「今宵は語り明かそうと思ってな。よく喋る男だったから」


 どこか遠くを見るようにほほ笑んで、わずかに視線を逸らす。いつもうるさいくらいに絡んできて、まっすぐに人を射抜くように見るこの男が、自分から視線を外したのはこれがはじめてだった。


 だからつい、訊いてしまったのだ。


「……どんなひとだったのだ」


 と。わずかに、ベルナールは驚いたような顔をした。エヴェルイートはすぐに後悔し、それを見なかったことにして足早に歩き出す。なんだか落ち着かない。


「愉快な男だった。私より十年以上も長く生きているのに、少年のように好奇心旺盛で……よく余計なことに首を突っ込んでは、痛い目を見ていたものだ」


 うしろから、ベルナールの声が追いかけてくる。おだやかな声だった。


「だが頼れる男だった。よき父親でもあった。彼の妻子には、なんと言えばよいかわからぬ」


 エヴェルイートは唇をきつく結んだ。その気持ちは、理解できてしまう。


「まだ出会って二年だった。だから知らぬことも多い。もっと話しておけばよかったと思っても、遅いな。……エヴェルイートどの」


 突然呼びかけられて、エヴェルイートは思わず足を止めた。


「……なんだ」


 振り向かずに、応える。


「死んでしまっては、知ることすらできぬ。だが生きていれば、理解はできなくとも、知ることならできる」
「なんの話だ」


 すると逞しい腕が背後から伸びて、頬に触れた。咄嗟に反応できず、エヴェルイートはされるがまま、その手に導かれるようにうしろを向いた。ベルナールと目が合う。まただ。真正面からこの新緑色の目に見つめられると、身動きが取れなくなる。


 ベルナールは、エヴェルイートの横髪をそっと撫でるように耳にかけて、そのまま耳たぶまで指を這わせた。かすかな金具の音が聞こえ、次いで、小さな違和感。ベルナールの指が離れていってから、エヴェルイートはその正体をたしかめようと自身の耳もとに手をやった。ひやりとした石の感触がする。


「これは……」


 ベルナールを見ると、彼もまた自分の耳を触りながら、満足げな表情を浮かべていた。普段そこで光っている、紅玉(ルビー)の耳飾りが、ない。


「私より似合うな」


 それで、彼の耳飾りを勝手に押しつけられたのだと気づいた。


「なんのつもりだ」
「外すなよ。それは道標だ」
「なに?」


 ベルナールは、つと真顔になり、言った。


「使用人宿舎の隅に古い枯れ井戸があるだろう。知りたければ、飛び込んでみろ。その先で、もう片方を持つ者が待っている」


 そういえば、エヴェルイートの耳には、耳飾りの片方しかない。ベルナールの耳には、ひとつもない。つまり、すでにもう片方はだれかに預けられているということだ。それを探せというのか。だとしても、意味がわからない。


「それと、覚えておくといい。情報収集なら、まずは妓館(ぎかん)だ」


 返事を待たずにベルナールは歩き出し、立ち尽くすエヴェルイートを置いて行ってしまった。その足取りに迷いはなく、やはり案内など必要なさそうだった。