二、新時代の母(2)

 そういうなりゆきで「王さまとお妃さま」と呼ばれるような立場になったわけではあるが、当然、そう簡単に認められるはずもない。王都周辺すら完全には掌握しきれていないのに、それ以外の各都市はウルズ諸侯やヴェクセン皇帝マティアスの手中にあるのだ。その状況で「王」と名乗るのもなかなか難しいものがある。加えて、あの発表である。

 

 王女アウロラが生きている。

 

 それはあり得ないと、瑠璃姫は知っている。たしかにあのとき、彼女はこの腕のなかで息を引き取ったのだ。だが、こういう真実も知っている。

 

 アウロラには、双子の姉妹がいる。

 

 どこでどうやって生きていたのか、いまもなお生きているのかは知らないが、もし、聖都アルク・アン・ジェのいう「アウロラ」がそのもうひとりの王女のことだったとしたら。

 

 ――だったとしたら、自分は、どうするつもりなのだろう。

 

 結局、なにをすべきなのかはわからないままだった。ただ、思うままに選ぼうと決めていた。いま、隣に立つ男の横顔を、そっと見つめた。

 

「どうした?」

 

 視線に気づいたベルナールがこちらを向き、流れるような動作で瑠璃姫の髪を撫でた。一度短く切った髪は、もう肩につくほどになっている。

 

「……なんでもない」

 

 その手が心地よいと感じるくらいには、惹かれてしまっているのだ。そうだ、惹かれている。だからこそ、どうしたらいいのかわからない。

 

 なんにせよ、聖都の発表はベルナールの即位を認めないという教会の意思表示だ。その報がもたらされてからすでに約ひと月。それぞれに目立った動きはなく、この先もどう動くか読めない部分があるが、こうして積極的に城下に赴き、民と触れあっておくのは大事なことのように思えた。

 

「お疲れになられたのでは?」

 

 と横から言うのはセヴランである。今日は陽射しが強いから、焦げ茶色の髪と赤銅色の瞳が赤く透けて見える。ベルナールの四つ年上だというこの側近の男が、じつは童顔を気にして髭を生やしていると知ったのはごく最近のことだ。

 

「言われてみればそうかもしれない」

「そうでしょう。瑠璃姫さまはお疲れのときだけ、そのようにお(ぐし)を触られておられますゆえ」

「……そうなのか」

 

 それはちょっと、知らないふりをしていてもらいたかったかもしれない。

 

「待て、セヴラン。そなたなぜそんなことを知っている」

 と、ベルナールが不機嫌な声を出した。

 

「むしろなぜ殿下……失礼、陛下がご存じないのかと」

「そのくらい私だって知っている! 言ったらもう触らせてもらえなくなるだろうが!」

「それは残念なことでございますな」

 

 こういう光景にももう慣れた。なかには「威厳がない」と眉を(ひそ)める者もいるが、そのおかげで民衆には親しまれているようだ。いまもこちらを遠巻きに見る目が笑っている。ウルズ王家の統治時代とはまるで違う。

 

「とにかく、余計なことを言うな。……さて、姫。疲れたのならもう帰ろうか?」

 

 瑠璃姫の肩を抱いたベルナールが、顔を覗き込んできた。声の調子は軽薄だが目の奥は真剣だ。数日まえまで体調を崩していたから、純粋に気遣ってくれているのだろう。

 

「旧市街を見にきたのではないのか?」

 

 訊き返しながら崩れた門を指さす。恥ずべきことだが、いまの立場になるまでその存在を気にかけたことすらなかった。自分の世界の狭さを痛感する。

 

「いや、今日は周辺の状況をたしかめられれば充分だ。あの向こう側へ行くにはいろいろと準備がいる。あなたを連れていては不安も多いしな」

「……すまない、邪魔だったか」

「そういう意味ではないさ。……なんだ、やはり疲れているな? いつものように言い返してくれねば調子が狂うではないか」

 

 ベルナールは笑って、今度はかき混ぜるように瑠璃姫の髪を撫でた。

 

「なにをする!」

「うむ、それだ。それを待っていた」

 

 仕返しに、ベルナールの髪もぐしゃぐしゃにしてやった。その応酬が続くかと思われたが、

 

「あー、はいはい。見せつけてくださらなくて結構ですので、帰るなら帰るでご指示をいただけますかな、お二方(ふたかた)

 

 セヴランの声に我に返る。見れば護衛の兵士たちが、なんともいえないほほ笑みをこちらに向けていた。

 

「見るな!」

「無茶を言うな。彼らの仕事を奪うものではないぞ」

 

 ベルナールが楽しげに言うのを聞いている間に、ひょいと抱き上げられた。言い返そうとしたときにはもう(くら)の上だ。ベルナールも同じ馬に乗ったのが、うしろから支えるようにまわされた腕のぬくもりでわかった。

 

「帰城する」

 その一声で一斉に動き出す。

 

 旧市街の門の向こう、高く積み重なった瓦礫の上を走る人影が目の端に映った。

 

 ふたり。少年だろうか。もの珍しそうにこちらを観察しているようだが、少年たちの顔までは見ることができなかった。