三、ボーイ・ミーツ・ガール(2)

 ところで、ずっとアスライルと表記してきたが、実はこのころ、彼はまだ名前を持っていない。

 

 彼がアスライルという名を得たのは、ウルズ王国崩壊後ベルナール・アングラードに保護されてからのことで、さらにバルバートルという姓を得たのは、正式にヴェクセン帝国宮廷顧問官に就任したときのことである。幼い女主人には、もっぱら「わたしの奴隷」などと呼ばれていたようである(というわけで、本書でもしばらくはただの「少年」などと呼ばせてもらおうと思う)。


 そう書くとかなりつらい幼少時代だったかのように思われるかもしれないが、どうやらそんなに悪くない生活だったらしい。名前こそ与えてはくれなかったが、リュシエラは同じ食事を分けてくれたし、衣服も上等なものを用意してくれた。夜はいつも彼女の抱き枕役だったので、上質な寝台でふわふわの羽毛布団にくるまって眠った。ちなみに当時、羽毛布団は王侯貴族くらいしか使えないような超高級品であった。


 奴隷といっても、仕事内容や待遇は様々である。一般的にその言葉から連想するような悲惨な生活とはかけ離れた、むしろ(うらや)まれるような環境にいた者も少なくはなかったのである。


 ただこの名もなき少年の場合、主人がなかなか気難しく、精神的な苦労はけっこうあったようだ。しかしそれすらものちに「悪くなかった」と語っていて、弟子には「我が師はもしかしたら変態だったのかもしれない」などと言われてしまっている。一応彼の名誉のために言っておくと、その後の様々な苦労もわりと楽しんでいるふしがあるので、苦労を苦労と思わず、すべての経験を自分の糧とすることができるひとだったのだろう。


 そんな彼が知識に貪欲になったきっかけもまた、リュシエラだった。彼女のものとなってまだ日が浅いころ、一日じゅう鐘の音が響きわたっていたことがあった。


「これはなんのために鳴っているのですか?」

 と訊くと、


「おまえは馬鹿ね」
 と前置いてから、リュシエラは教えてくれた。


「領主さまの奥方が亡くなられたのよ。これはそれを悼む鐘」
「領主さまって?」
「……おまえ、本当に馬鹿ね」


 つまらなそうに言いながら、「領主さま」がなんなのか、その奥方が亡くなったことがどれだけ重要な意味を持つのか、詳細に説明してくれた。それによると、「奥方」は「国王」とかいうこの国の支配者の妹だそうで、国の均衡を保つ役割を果たしていたらしい。


「ご子息は王女さまとご結婚なさるという話だけれど……どうなるのかしらね」


 どう、と言われても、少年はまだなにも知らないまっさらな状態なので、答えようもない。なるほど、知識がなければ主人との会話すらままならないのだ。自分の立場だけはなんとなく理解していた彼は、このままでは捨てられるかもしれないと思い、知識を欲するようになった。


 とりあえず頼れるものは主人だけなので、気になることがあればその都度質問をしてみた。リュシエラは存外快く答えてくれたが、そのうち面倒になってきたのか、答えるのをやめて代わりに字を教えてくれるようになった。それで字が読めるようになると、膨大な蔵書を好きに漁ってよいと言われた。屋敷に閉じ込められているリュシエラがやけにものをよく知っているのは、これらの書物と、上流階級を相手に商売している父親から得た情報のおかげらしい。それにしてもこれが五歳かそこらの子どもたちの日常だったとは、にわかには信じ難い。本当だとすれば、二人ともよほど優秀な頭脳の持ち主だったのだろう。


 最初は生きるためにはじめた勉強だったが、次第にそれ自体が楽しくなってきた。書物、リュシエラとの会話、ときには盗み聞きなどでどんどん知識を吸収した少年は、それを活用してまたさらに知見を広めた。こうして「賢人アスライル・バルバートル」の土台が出来上がっていったのである。


 そんな毎日を一年、二年と繰り返すうち、自分と主人を取り巻く環境が、どうやら「ふつう」ではないらしいと知った。


 リュシエラには妹がひとりいた。妹というわりには不思議と年の差が感じられない彼女は、ときおり離れにやってきて、入口のあたりでじっとこちらを見ていた。姉に向けるものとは思えない、蔑むような目が印象的だった。


 リュシエラはたいてい相手にしていなかったが、気まぐれに声をかけることもあった。


「ニーナ、ここへ来てはいけないとおとうさまに言われているのでしょう。戻りなさい」


 すると妹はうすら笑いを浮かべながら言った。


「わたし、こんど王都へ行くの。お父さまのお仕事にご一緒するのよ」
「そう、それはよかったわね」
「おみやげを買ってきてあげる。ねえ、なにがいいかしら?」
「なにもいらないわ」
「そう? それじゃ、お大事に」
「ええ、あなたもね」


 上機嫌で駆けてゆく妹を、リュシエラはなんの感情も表さずに見送った。


 あとで聞いた話によると、この屋敷の持ち主であるリュシエラの父親と母親、そして妹は母屋で一緒に生活しているのだそうだ。「家族」というのは「ふつう」はそういうもので、本当はリュシエラもそのように暮らすべきなのだけれど、病気のために叶わないのだという。しかし「難しい病気」だというリュシエラと、その妹を見比べてみても、健康状態が異なるようには思えない。聡い少年は、「病気」というのは嘘で、この綺麗な少女をどうしても隠しておかなければならない別の理由があるのだと、すぐに見抜いた。ただ、あえてそれを口にはしなかった。


 で、少年は考えた。どうせならこの「ふつう」ではない生活を満喫してしまおう、と。


 のちに自身で語ったように、彼は美しいものに目がなかった。「美人にはわりとほいほいついてゆく」とは本人の(げん)だが、なるほどたしかに、彼の最終的な主君となったベルナール・アングラードも自他ともに認める美丈夫であったらしいし(ただし彼の評価は辛口である)、その最初の妻であり「アスライル」の名づけ親でもある瑠璃姫(るりひめ)(通称。本名不詳)は伝説の美女と名高い。他にも「孔雀姫(くじゃくひめ)」ユーリア=イレーニアや、アウロラ女王の愛娘リディア姫など、彼の周辺にはその時代の名だたる美姫が顔を揃えている。

 

 そのうち、リディア姫に関しては失明してから出会っているし、教え子のひとりであるから「ほいほいついて」いったわけではなかろうが、まあなんというか、好みのわかりやすい交友関係である。ちなみに彼が好きなのは美人に限らず、たとえば美しい馬に夢中になり馬車に轢かれて死にかけただとか、建築の美しさに惹かれてわざわざ自ら奴隷商人の家に出向いただとか、男物より美しいからという理由で女物の服を好んで着ていたとか、殊に失明以前の彼に関してはこの種の話題に事欠かない。

 

 このあたりが、歴史ドキュメンタリー番組で「賢人か変人か」などという特集を組まれてしまう所以である。


 そんな彼であるから、美少女を独り占めできるとあっては黙っているはずがなかった。

 

 ここからが彼の凄いところで、彼の「より美しさに磨きをかけた主人を拝みたい」という単純で純粋な欲望は様々な創意工夫を生み出し、いつしかそれが開発と呼べるレベルにまで昇華されて、やがてウルズ王国民の生活のスタンダードとなるまでに至ったのである。


 その最たるものが、入浴の文化である。どちらかというとヨーロッパ寄りの文化を持つドラグニア小大陸の国々だが、現在、そこに暮らす人々の入浴習慣はわれわれ日本人と()して変わらない。これは世界的に見るとかなり珍しいのだが、この習慣を根づかせたのが、他でもない、当時名もなきこの奴隷の少年であった。


 それ以前のウルズ王国にも、風呂というものは存在した。

 

 水資源が豊かで温泉も湧き出るこの土地では当然の流れだったのかもしれないが、これは古代ローマ帝国の影響ともいわれている。ただ、公共の社交場であり総合レクリエーション施設であり政治的利用価値もあった古代ローマの公衆浴場とは異なり、ウルズ王国の風呂は簡素な、宗教儀式用の閉ざされた空間だった。

 

 否、実は当初は古代ローマに倣った形式だったのだが、それを支えるだけの資金力がなかったのと、ローマ人よりだいぶ内向的なウルズ人(特に、上流階級を占めるパルカイ民族)の気質に合わなかったため、すぐに廃れたのだ。しかしながら、彼らの聖典は週一回の沐浴を義務づけていたため、川での水浴びよりも快適にその教えを守ることができる風呂場という設備は一定の需要を保ったわけである。


 浴場は宗教施設に併設された他、一般住居にも少なくはなかった。浴槽は小さく、全身を沈めることはせずにたまに足湯のように浸かる程度で、専ら沸かした湯を溜めておくためだけに使われた。そこから汲んだ湯で軽く汚れを流すのが当時の定番スタイルで、もちろん少年が出会ったばかりのころのリュシエラ嬢もこうして沐浴を行っていた。少年も最初は従っていたのだが、次第にそれが気に入らなくなってきたのである。


 まず、この方法では洗浄が不十分だった。女主人の白い肌をより輝かせるためには、もっとしっかり汚れを落とすことが必要だと考えた少年は、とりあえずいつものように文献を漁った。そこでかつて使われていたという木製や金属製の垢すりヘラの存在を知ったが、こんなものでお嬢さまの柔肌を傷つけてなるものかと、ありとあらゆる素材を自分の肌で試してみた。結果、古くなった衣服から拝借した麻と絹が最適であるという結論に達した。ちなみに「毛羽立った羊毛は最悪」とのことである。


 実際に女主人の肌を拭ってみて、その効果と主人からの評価を確認したあとは、よりなめらかな肌を求めて邁進(まいしん)した。

 

 最初は主人が所有していた香油でのマッサージだけだったのが、自分で香油を作るようになり、その香油を浴槽の湯に混ぜるようになり、その浴槽に主人の全身を浸からせて丹念に磨き上げるようになり……最終的に、それらすべてのケアを施したあとに手作りのクリームで念入りな保湿をするようになった。

 

 その他、ミルク風呂とかバスソルトとか、現代でも通用する美容法がひととおり試されているのがおそろしい。そこまでやっているのに当時のウルズ王国で流行していた脱毛には手を出さなかったようで、我がお嬢さまには必要ないとの判断なのか、はたまた生きものの自然な姿を愛するがゆえなのか、そこに彼のこだわりの独自性が垣間見える。また、これらのことから中世ウルズの天然資源の豊かさが窺えて興味深い。


 さて、この「浴槽に浸かる」という方法と、少年の配合したクリームがのちに一大センセーションを巻き起こすわけであるが、そのきっかけとなったのはこんな事件であった。