十五、約束(2)

 さてそれはそれとして、決着をつけねばならないことはもっと他にある。アウロラは頬を引き締め、ベルナールに向き直った。

 

「ところでベルナールさま。わたくしはあなたにお願いがあって参りました」

 

 ベルナールも乱れた衣服を整える。

 

「聞こう」

「単純なことでございますわ。つまり、命乞いですの」

 

 跪き、深く腰を折った。額が床につきそうなほどに(こうべ)を垂れる。

 

「わたくしどもの命を、どうかお助けくださいませ」

 

 ベルナールは黙っていた。アウロラは頭を下げ続けた。そうしているうちにエヴェルイートが隣にやってきて、同じように跪いた。それは卑怯だろう、とアウロラは内心苦笑する。ベルナールが居心地悪そうに

 

「やめろ、やめろ。頼むからふたりとも顔を上げてくれ」

 

 懇願した。アウロラが素直に立ち上がると、遅れてエヴェルイートもそれに続く。それでようやく落ち着いたのか、ベルナールが腕を組みながらため息をついた。

 

「……私はもとよりそのつもりだった」

「あら!」

 

 と大げさに反応したのは、ちょっと意地悪だったかもしれない。

 

「それでは最初から、わたくしとの約束なんて破るおつもりでしたのね」

 

 もともとは、アウロラはウルズ王国の完全な消滅を望んでいた。つまりは、王家の血を一滴も残さずに絶やすつもりだったのだ。それはベルナールにも伝えてあったし、彼も承諾していたはずだった。あとのことは好きにすればよい、その代わりに、アウロラの滅亡計画に協力せよ、と、そういう取引であった。

 

「いや、それはだな……」

「まあ、そのお考えもわかりますわ。わたくしの母は聖都アルク・アン・ジェとの繋がりが強い。当然、その娘であるわたくしも。そもそも我が国と聖都との癒着は周知の事実ですもの。生かしておけば使い道はいくらでもございますわね?」

 

 ベルナールは面食らったように口を開け、目を(しばたた)かせていたが、さすがにそのまま呑まれるようなことはなかった。神妙な面持ちで頷くと、はっきりとそれを肯定したのである。

 

「やはり(さと)いな、あなたは。そのとおりだ。むろん、そういう打算はあった」

 

 傍らのエヴェルイートの顔が険しくなる。アウロラはその腕を掴んで、ただ次の言葉を待った。

 

「だがそれだけではない。……あなたは気を悪くするかもしれぬがな」

 

 新緑色の瞳が、静かにこちらを見ていた。一度だけゆっくりと(まばた)きをしてから、ベルナールは言った。

 

「昔の自分を見ているようだったからだ」

 

 それがだれのことを指しているのか、なんて、訊かなくてもわかった。ベルナールのどこか慈しむような眼差しは、まっすぐにアウロラに向けられていた。

 

 なにも言えなかった。感情の()()すら、よくわからなかった。

 

「アウロラどの、私はこの国を支配するつもりはない。ただ預かるだけだ。いずれあなたにお返ししよう」

 

 それでも、強く、たしかな言葉は、アウロラの胸を打った。

 

「だからそれまでに、王たるに相応しき者となれ。それでこそ、奪いがいもあるというものだ」

 

 高揚、していたのだろう。アウロラの喉からは、上擦った声が、知らず押し出されていた。

 

「結局そういうことですのね」

「私はドラグニア全土を統べるべき男だからな」

 

 不敵な笑み。それを疎ましいとは思わなかった。身のうちに燃え上がるものはなんだろう。この眼裏(まなうら)に映る、まだ見ぬ景色はなんなのだろう。そのなかを駆ける風は、いま目のまえの男から吹いているように思われた。

 

「不満があるのなら、壊すのではなく変えるべきだ。私は変えるぞ、アウロラどの。早く這い上がってこい。私がすべてを塗り替えてしまうまえに」

 

 アウロラも負けじと、笑みを返した。

 

「わたくしを(さと)したこと、すぐに後悔させて差し上げますわ」

 

 どちらからともなく手を差し出した。固く握り合った。ともに新たな時代を作る、好敵手(ライバル)への宣言と約束だった。アウロラはここで、改めて一歩を踏み出すのだ。今度こそ生きるために。ここから、歩き出せる。

 

 そう思っていた。

 

 その、はずだった。