四、重なる糸(2)

 往来に出ると、青空から降り注ぐ光と潮風が、さっと肌を撫でてゆく。

 

 迷路のように入り組んだ白亜の街並みから見下ろす海には大小の船がひっきりなしに行き交い、港は荷を降ろす人や船を待つ人、それからだれかを探す人などで賑わっている。それらの人々は多彩な髪や目の色を持っていて、エヴェルイートやイージアスのような色彩を纏う人はきわめて少ない。


 ふたりがローブのフードを目深に被って歩いているのは、太陽光が眩しかったからだけではない。その特徴的な髪や目の色を、周囲から隠すためでもある。


 絶対数の少ないパルカイ民族は、外部との血の交わりを頑なに拒み、神話という大きな土台の上に精神的な支配者として君臨することで、その身を守ってきた。だが前述のとおり、近年、その支配が揺らいできている。パルカイ民族しかいないカルタレス城とその周辺ならばよいが、それ以外の場所では自分たちの外見的特徴を隠しておかないと危険だ、と言ったのは、イージアスであった。


 彼は非番のとき、よく城下に出かけている。大抵は趣味である絵画制作のための画材を求めに行くらしいのだが、ときおり、そうとは思えないほどくたびれた様子で帰ってくることがある。そういうときになにか危険な思いをしたのだろうと推測できるが、それでも面倒臭そうな顔をしながらついてきてくれたイージアスに、エヴェルイートは感謝していた。だから、


「……イージアス、そんな目で見るな。頼むから」
「おまえは背中でものを見ているのか?」
「そんな熱烈などす黒い視線を寄越されたらだれだってわかるよ……」


 できれば早いところ機嫌を直してもらいたいところである。


「悪かった。調子に乗りすぎた」
「そうだな」
「軽率だった」
「そうだな」
「改める」
「その台詞をおれが何度聞いてきたか、おまえは知っているか?」
「…………」


 答えられずにいると、背後から盛大なため息が聞こえた。


「まあ、いい。おまえに学習能力がまったくないことを知りながら対処できなかったおれの落ち度だ」
「……なあ、イージアス。おまえのなかのおれの評価はどれだけ低いんだ?」
「低いわけではない。ただ馬鹿だとは思っている」
「……うん、そうか」


 これが本当に従者の言葉なのだろうか。ちょっと悲しくなってきたエヴェルイートである。


「それより、おまえ、まさかそのうちまた来ようなどとは思っていないだろうな?」


 うしろを歩いていたイージアスが、エヴェルイートの腕を引いた。そのすぐ横を、奴隷を乗せた荷馬車が通る。


「いやべつに……なんで?」
「あの奴隷に、またな、と言っていただろう」
「ああ、いや……なぜだろうな、気づいたらそう言っていた。そういえば、名前も聞いていなかったな」


 答えながら、エヴェルイートは運ばれてゆく奴隷たちを見ていた。

 

 あの少年の言うとおり、だいぶ混血が進んでいるようだ。だがどこまでも飛んで行けそうな翼や鋭い爪、獅子にも劣らない強靭な肉体など、亜人特有の獣じみた外見を持つ個体もまだ多い。あまりよくは見えなかったが、あの少年もかなり立派な牙を持っているようだった。

 

 もし、少年になにか含むところがあって、喉もとにでも噛みつかれようものなら、それは致命傷となり得るだろう。いや、問題は顎の力か。だがさすがにあの情報量では、そこまで推し量ることはできなかった。


「イージアス、あの少年をどう思う?」
「将来有望だな。頭の回転も速いし、胆力もある」
「おれもそう思った。亜人というのは体力ばかりで、頭はないと聞いていたのだがな」
「本人も言っていたが、純粋な亜人ではないのだろう。……が、まあ、それはただの偏見だろうな」
「もしくは、我々を欺くための流言か」


 そう、パルカイ民族は亜人の実態を知らない。知らなさすぎる。

 

 先住民族である亜人を屈服させ、この地を拓いたのはアッキア・ナシアの民だ。当然、彼らは亜人の生態や知能も研究し把握した上で定住の地を勝ち取り、支配者と奴隷というかたちで共存をはじめたのだろう。そこにあとから入り込んで、綺麗な上澄みだけを掬って生きてきたのがパルカイ民族、であるとするならば。


 なにか、とんでもなく大きなものを見落としているのではないか。


「たとえばの話だ。亜人が我々と同程度の知能を持っていると仮定して、身体能力が我々を上回る場合、彼らがおとなしく飼われている理由はなんだと思う?」


「現状に満足しているか、それ以外の生き方を知らないからだろう」


「うん、たぶん、彼らはもともと金銭のやり取りというものを知らずに生活していたんじゃないかと思う。狩猟、採集だけで生きていて……もしかしたら、集落すら形成していなかったのかもしれないな。そこに突然侵略者が現れて、こういう社会構造に無理矢理放り込まれた。いまこの場で、彼らにしばらくは困らないだけの金銭を渡して解放したとしても、その使い方も稼ぎ方もわからずに野垂れ死にするだろう」


 あの少年が、商売にまったく興味を示さなかったのも、そういうことではないかと思う。


「彼らが求めるのは自由ではなく、最低限の生活の保障なのかもしれない。そう考えれば、肉体的に優れているのだから、彼らの活躍の場は広いはずだ。しかもあれだけ話が通じるとなれば……」


 彼らに最も適した仕事がある。強靭な肉体、鋭い牙や爪、人のたどり着けない場所を飛び回る翼。エヴェルイートが抱いた懸念は、そこにある。


 パルカイ民族は、奴隷に関わるすべてのことに一切干渉しない。非パルカイ民族は、武器を持ったり、それを商売の道具としたりすることを許されない。では、こういう考えに至るのもごく自然なことではないだろうか。


「――亜人は、武器になると思うか」


 イージアスに問うと、その言葉をずっと予想していたのだろう、彼は冷静に、はっきりと頷いた。


「なる。確実に」