六、選択したその先で(3)

 で。

 

「いやぁ、お姉さん本当に別嬪(べっぴん)だねぇ。おじさんとこお嫁に来ないかい?」

「もう、そんなことを言って。お世辞がお上手なんですね」

 

 いま、リュシエラの目のまえではそんなやり取りが繰り広げられている。

 

 ちなみに前者が快く食事を分けてくれた中年男性の、後者がアイザックの台詞である。つまり「お姉さん」と呼ばれたのはアイザックだ。そう、彼はいま女装してリュシエラのまえにいる。

 

 いいにおいをたどって行くと、現れたのは商人の一団だった。一団といっても、いかにも商人らしい風体の男性がふたりと小型の荷馬車、それとはべつに馬が一頭いて、男性たちの妻だろう、女性がふたり連れ添っているというごく小規模なものだ。

 

 それを茂みの陰から見ていたアイザックは

 

「ああ、これは絶対に食べさせてくれますよ」

 

 となにやら服をいじりはじめ、どこから取り出したのか付け毛を髪に足すと、仕上げに薄く(べに)をさしてあっという間に女装を完成させた。

 

「……どうして女装なの?」

「こっちのほうがいいものを食べさせてもらえるからです」

 

 手慣れている。

 

 女の格好をしても違和感がないことにまず驚くが、なによりリュシエラをびっくりさせたのは、その佇まいが彼の姉であるネンデーナにしか見えなかったことだ。

 

「小さいころはよく入れ替わってたって言ってたわよね。たぶん、いまでもいけるわよ」

「さすがにそれはないと思いますけど。まあ、身長がわからないように座ったまま一言も口をきかなければ、騙せる人もいるかもしれませんね」

 

 そう言って手首に布を巻きはじめたので、リュシエラは口を尖らせた。

 

「隠してしまうの? せっかく綺麗な入れ墨なのに……」

「言ったでしょう。これはおれの出自をはっきりと示すものなんです。そんな目立つものを晒しておけますか」

 

 それに、とアイザックは続ける。

 

「これは覚えておいたほうがいいですよ。きみたちの神の教えでは、入れ墨は罪人に科せられる刑罰です」

 

 そんなやり取りのあと、ふたり揃っていいにおいの(みなもと)に突撃したわけだが、商人の男たちはとにかく気さくで、どう見てもあやしいであろうこちらの素姓を聞き出そうともせずに食事を差し出してくれた。おかげですっかり満腹だ。しかも、近くの街まで送ってくれるという。

 

 こんな幸運があるだろうか。アイザックがおかしなことを言うので内心緊張していたが、どうやらそんな必要もなかったようだ。気になる点といえば、女性たちがどうにも陰気で目を合わせようともしないことくらいである。まあ、対象的に明るい夫が堂々と他の女(ではないが)を口説(くど)いているのを見せつけられるのだから、当然といえば当然なのかもしれなかった。

 

「でも本当に助かりました。どこに行けばいいのか全然わからなくて……途中で猪には出くわすし」

「そりゃあ災難だったなぁ。無事でよかった、神さまのご加護だよ」

 

 しおらしい表情を作るアイザックに、商人たちは鼻の下を伸ばしっぱなしである。ちなみにリュシエラは「いっぱい食えよ」と頭を撫でられただけだ。()せぬ。

 

「ここは〈迷子の森〉なんて呼ばれていてね、わしらも普段はなかなか通らないんだ。いやぁ、運がよかったなぁ」

「迷子の森……聞いたことがあります。森の声に誘われた子どもたちが迷い込んで、二度と帰ってこないとか」

「そうそう。ま、そんなもんは迷信に過ぎないが、危険な森ってことには違いないからね」

 

 と豪快に笑う。

 

「お姉さんたちも迷ったのかい?」

「ええ、じつは、その、両親が事故と病気で相次いで……。それで妹と一緒に親戚を訪ねる途中だったんですが、道を間違えてしまったようで」

 

 アイザックが目もとを拭うふりをしてうつむいた。商人たちは「大変だったなあ」などと涙ぐみながら頷いている。

 

 リュシエラは思わず鼻息を鳴らした。アイザックとは似ても似つかない色の頭髪はしっかりと巻いた布で隠してあるが、いくらなんでもその雑な姉妹設定は無理があるのではなかろうか。

 

 とはいえ相手がそれで納得するのなら問題はない。気にせず膨れた腹になおも食べ物を詰め込んでいると、ふと視界の端でなにかが揺れたのに気づいた。馬車だ。しかし繋がれた馬はおとなしく、屋根のある荷台はそよ風に揺れるほど(やわ)には見えない。

 

 見間違いだろうか。そう思った瞬間にちょうどまた、動いた。やはり見間違いではない。たしかに、馬車の荷台が揺れている。

 

 商品のなかに動物でもいるのかもしれない。なんだろう、見てみたい。

 

 動物に散々な目に遭わされた記憶は、リュシエラのあふれる好奇心を抑える栓にはならなかった。腹がくちくなって退屈してしまったのもある。商人たちはアイザックとの会話に夢中で、こちらなど気にもしていなかった。

 

 指についた肉の脂を舐め取り、草の上に手をつく。そのままの状態でそろりと動き出す。なんだか自分が四つ足の動物になった気分だ。

 

 ゆっくり、ゆっくりと近づく目的の箱。それがだんだん宝箱に見えてきて、知らず、頬が緩んだ。ついにそこにたどり着いたリュシエラは、その後方に回り込んで目隠しのように垂れた布に手をかけた。そして。

 

「おやおや、見てしまったのかい?」

 

 背後から聞こえた声に、振り向くことができなかった。

 

 捲り上げた布の向こう、宝箱のような小さな荷台には、手足を縛られ口を封じられた女性がふたり、無造作に転がされていた。

 

「困ったねぇ、お嬢ちゃん。おとなしくしていれば、街までは楽しい旅ができたのにねぇ」

 

 見なくてもわかる。商人の手が、迫っている。

 

 リュシエラは咄嗟に頭を下げ、低い姿勢のまま走り出した。太い腕が頭上を掠める。その一瞬、袖の下にちらりと見えたものをリュシエラは見逃さなかった。

 

 入れ墨!

 

「アイザック!」

 

 なるほどそうか、きっと彼ははじめからこれを予測していたのだ。ならばすでに手を打ってあるに違いない。信じて、全速力で駆けた。が。

 

「なんで捕まってるのよっ!」

「いやー、こういう展開って、物語のお約束ですよね」

 

 まったく抵抗した様子もなく縛られたアイザックを見て、自分の選択を、早くも疑いはじめたリュシエラであった。