四、瑠璃色の光(2)

 その後しばらく、本当に短い間だが、ウルズ王国は平和ともいえるときを味わった。

 

 正気を取り戻した国王の容体は安定しているとはいえなかったが、政務に支障があるほどではない。地下牢のシリウス王子もおとなしく、ヴェクセン帝国との間にも動きはない。王家とブロウト家の関係も元に戻り、カルタレスでの事件については進展がないものの、人心はだいぶ落ち着いてきた。帝国の奴隷制度廃止の影響もさほど大きくはならず、ひとまずいままでどおりの状態を保っている。ただ、いまや王国の中心にいるのはベルナールであった。相変わらず客人として居座り続ける彼のおかげで、仮初(かりそ)めの平和は成り立っていたのである。

 

 とはいえ、安定した生活を得れば美しいものを愛でる余裕も出てくる。この時期、アヴァロン王宮には美女が集まっていた。

 

 まず国王が、新しい女官をひとり後宮に迎えた。これはアウロラが生まれてからははじめてのことで、ずいぶんと話題になった。女官の名はユーリア=イレーニア。ブロウト家の血筋の者で、サイードの姪にあたる、このとき十六歳の華やかな美少女であった。彼女は国王の寵愛を受け、のちに「孔雀姫(くじゃくひめ)」の愛称で親しまれることになる。

 

 続いて、第二王子アレクシスが妻を(めと)った。こちらは王国の東端に位置するシェリカ領主の娘で、アレクシスと同い年の可憐な乙女であった。

 

 このふたりの美女を迎える間に、アウロラは十一歳の祝いを終え、さらに半年が過ぎている。つまり、「エヴェルイートの失踪」から約一年半。アウロラにも次々と縁談が持ち上がっていた。

 

 秋の庭園を、うつむき気味に歩く。黄金色の陽射しがあたたかい、晴れた昼下がりであった。

 

 楽しげな笑い声が聞こえる。立ち止まって顔を上げると、女官たちを伴った義姉が歩いてくるところだった。あちらもこちらに気づいて、頭を下げる。

 

「こんにちは、ティナお義姉(ねえ)さま」

「こんにちは、アウロラ殿下。ご機嫌うるわしゅう」

 

 相手は兄アレクシスの妻ではあるが、次期国王であるアウロラの方が立場は上である。慣例に従い、低頭したままアウロラから声がかかるのを待った義姉ティナに、アウロラも慣例どおり挨拶をして顔を上げさせた。

 

「まあ……どうなさいましたの? お元気がないようですけれど」

 

 義姉はアウロラの顔を見るなり、眉尻を下げた。素直でやさしいこの女性からは、すべてがやわらかい印象を受ける。きっと彼女が両手に抱えた花のように、汚れたところなどなにひとつないのだろう。自身の立場の重要性やその利用価値など、考えたこともないのだろう。アウロラはこの女が、嫌いだった。

 

「なんでもないの。ごめんなさい、ご心配をおかけして」

「なんでもないというお顔ではございませんわね」

 

 ほほ笑む。女官を遠ざけてから、義姉は内緒話をするように言った。

 

「……ご縁談のことですの?」

「…………」

 

 違う。そんなことは、どうでもいい。だがどうせ言ってもわからないから、アウロラは話を合わせてやることにした。

 

「お義姉さまは、いま、しあわせ?」

 

 ちょっとキョトンとした顔を見せてから、義姉はまたほほ笑む。

 

「ええ、とっても」

「お父さまやお母さまが決めた結婚でも?」

「ええ。アレクシス殿下はおやさしくて……素敵な方ですわ」

 

 とうっすら頬を染めた。アウロラは冷めた胸の奥を見せないよう、さらに尋ねる。

 

「アレクシスお兄さまが好き?」

「もちろん。だって、ローラさまのお兄さまですもの」

 

 ローラ、と愛称で呼ぶことを許したのは、アウロラ本人である。そのおかげで、周囲には仲のよい義姉妹に見えるようだ。それを信じきっているらしい義姉ティナは、抱えている花を数本抜き出し、アウロラの髪に飾った。

 

「ローラさま。わたくし、アレクシス殿下の妻になれたことももちろんですけれど、ローラさまの家族になれたことが嬉しいんですの。ローラさまがとても好きですわ。ですから、なにかお悩みなら、どうかお手伝いさせてくださいませ」

 

 なにを、いまさら。

 

 胸のうちとは裏腹に、アウロラは義姉の手を捕まえ、甘えるように頰を寄せた。

 

「ありがとう、ティナお義姉さま。でも本当に大丈夫なの」

 

 そう言うと、義姉は悲しげに口を閉じた。かと思ったら、次の瞬間には、ぱっと顔を輝かせる。

 

「そうですわ! ローラさま、お出かけしましょう!」

「……お出かけ?」

「そうです。ずっとお仕事やお勉強ばかりでは、気が滅入(めい)ってしまいますわ。たまには気晴らしに、ね」

「でもお義姉さま、」

「そうと決まれば、陛下にお願いにいかなくてはね。さ、ローラさま、ご一緒にまいりましょう」

 

 ティナの白く(たお)やかな手が、アウロラの指先に伸びる。咄嗟に、

 

「やめて!」

 

 その手を、払いのけてしまった。

 

「……ローラさま?」

 

 義姉の腕から、花の束が落ちた。女官たちが驚いた顔でこちらを見ている。

 

「ご、ごめんなさい、お義姉さま、わたくし」

「ローラさま」

「ごめんなさいっ!」

 

 堪らず、駆け出した。

 

 なぜだ。なぜこうもうまくいかないのだ。最近、おかしい。あんなにすべてが愛おしかったのに。あんなにみんな、大好きだったのに。あんなに、世界は綺麗だったのに。

 いまはこんなにも、憎らしい。

 

 自室に戻り、膝を抱えた。義姉が髪に挿した花が、ぽとりと床に落ちた。

 じっと、萎れるまで、そのまま見ていた。