独りの部屋に、靴音が響いている。それは絶え間なく一定の速度で耳を打ち、アウロラを苛立たせた。
うるさい。
かといって止めることもできず、どうしようもない焦燥感に心臓が締めつけられる。もうかれこれ半日、アウロラはこうして自室をぐるぐると歩き回っていた。
開け放した窓から射した陽が、床に投げ出されている。もう、朝だ。一睡もしていない。眠れるわけがない。目を瞑っても、昨日の光景が繰り返し瞼の裏に映し出されて、止まらない。
やっと会えたと思ったのに。
服装や髪型こそ違えど、あれはたしかに、アウロラの愛しい許嫁だった。それを。
あの男は。あの男が。
抱き上げて、連れ去った。奪った。
その、光景。
「どうして」
――憎い。
「どうして?」
憎い。
「どうして? おにいさま」
この世のすべてが、憎い。
立ち止まった。窓に視線を向けた。空を見上げた。
雲ひとつない澄んだ蒼に、一羽の鳥が、飛び去っていった。
「……ローラさま?」
控えめに扉を叩く音とともに、やわらかな声が聞こえた。こういう呼び方をするひとは、ひとりしかいない。義姉のティナだ。アウロラは声のほうに向きなおり、呼びかけに応えた。
「どうぞ、お義姉さま」
そっと扉を開けて、義姉が入ってくる。すぐに頭を下げた彼女は、泣き出しそうな声で言った。
「ご無礼をお許しくださいませ、ローラさま」
「構わないわ。お顔を上げて」
本来、国王と王后の次に位が高いアウロラに対して、ティナから声をかけるのは無礼である。そのことを気にして声を震わせているのかと思ったが、顔を上げた義姉はアウロラの顔を見るなりこう言った。
「おいたわしいこと……お寝みになられなかったのですね」
昨日、あの事件のあと、アウロラはすぐに宮廷医のもとで診察を受け、自室に篭った。女官も遠ざけ、だれも近づけぬように命じていたから、口をきいた者はいない。それゆえにアウロラは国王やみなの現状を把握できていないが、周囲もまたアウロラの様子を知らなかった。だから、ティナがここへ来たのだろう。
「……眠れないの」
もう、かわいい妹を演じるのも面倒くさい。素っ気なく答えると、ティナはますます瞳を潤ませた。
「ローラさま……」
ふわりと、抱きしめられる。花の香りがアウロラを包む。
「こわかったですわね……つらかったですわね……でも、ご立派でしたわ」
そのせいで、また、昨日の光景がよみがえった。
あのとき。泣くことすら、できなかった。それをみなは、立派だという。
「やっぱり……わかってないじゃない」
ぼそりと呟いた言葉は、ティナにはよく聞こえなかったようだ。聞き返されたが、
「なんでもないわ」
と答えた。べつに、理解してほしいとも思わない。エヴェルイート以外には。そう考えていたとき、ティナが急に明るい声を出した。
「そうそう、あのご婦人、お目覚めになられたのですって!」
よかったですわね、と体を離したティナに、今度はアウロラから取りすがった。
「いま、どこに」
驚いた様子の義姉に詰め寄る。
「あの方はどこ、お義姉さま!」
すると義姉はアウロラの腕をそっと撫でながら、
「まあ……ローラさま」
宥めるように言った。
「ずいぶん気にかけておいででしたのね。でもご安心なさって。いまは意識もはっきりしてらして、ベルナール殿下とご一緒に控えの間にいらっしゃいますわ」
なにが安心できるものか。控えの間ということは、謁見の間のすぐそばに、あの男とともにいるということだろう。いちばん会ってほしくない、父王と会うつもりで。あの男のとなりで。なにを、思って?
「お義姉さま。女官を呼んでくださいませ」
すっと、義姉から離れたアウロラは、静かに言った。
「わたくしも、参ります」
あなたもジンドゥーで無料ホームページを。 無料新規登録は https://jp.jimdo.com から