末兄アレクシスと、ヴェクセン帝国大公ベルナールがアヴァロン王宮に到着したのは、その三日後のことである。
床に臥している国王に代わって、長兄シリウスが彼らを出迎え報告を受けているところに、アウロラは泣きながら飛び込んでいった。
「アレクシスお兄さま!」
「ローラ!」
長兄と向き合っていた実直なすぐ上の兄は、アウロラの姿を認めると彼女を愛称で呼び、やわらかく抱きとめた。
「ローラ、そばにいてやれなくてすまない。心細かっただろう?」
「わたくしのことは、いいの。それより、おにいさまが……おにいさまが……!」
「エヴェルイートのことか? 大丈夫。すこし怪我をしていたが、元気だよ」
嘘。すこしの怪我なんかではなかった。この兄のつく嘘は、やさしい。
「……アレクシスお兄さま、ご存じないの?」
「なんのことだ?」
眉を曇らすアレクシスを見上げて、アウロラは涙を流し、嗚咽を漏らした。
「……ローラ? どうした、なにがあった!?」
それに焦った様子の兄が、アウロラの腕を掴む。アウロラは逆にその手に縋ってしゃくり上げながら、叫ぶように言った。
「お、おにいさまが、行方不明だって……っ、おにいさま……!」
そのまま泣き崩れた。周囲がざわついた。アレクシスがアウロラを抱いたまま、首だけを長兄シリウスに向ける。
「兄上」
「待て。私はそのような報告は受けていない。アウロラ、本当か、どこからの情報だ」
シリウスのよく通る冷たい声が、アウロラの気分を高揚させる。長兄シリウスも、またとても美しいひとだ。繊細な顔のつくりのせいか、二十二歳という年齢のわりには少年のような透明感がある。実際、彼はひどく純粋で、だれにも見せないその内面はまだ少年なのだ。
「アウロラ、答えろ」
「兄上!」
泣くばかりで答えようとしないアウロラの肩に、シリウスの手袋に包まれた手が伸びたとき、アレクシスが庇うように声を上げた。
「それはあまりに酷ではないですか。ローラの気持ちもすこしは考えてやってください」
ああ、綺麗。なんて綺麗なひとたち。アウロラは嬉しくなる。
アウロラの気持ちなんて、シリウスはとっくにわかっている。きっとだれよりも理解してくれている。アウロラと同じように孤独な長兄は、自分の本心を隠し、他人の本心を見抜くことに長けていた。三人の兄のなかで、アウロラにいちばん近いのは、彼だ。
アレクシスに睨まれたシリウスは、それ以上追及しようとはしなかった。ただ暗い瞳をこちらに向けただけである。
「ローラ、すこし休んでおいで。落ち着いたらまた話そう。……だれか、王女を頼む」
アレクシスの言葉に従った女官たちが、アウロラを支えた。
「……お兄さま」
「心配しなくていい。大丈夫だよ」
きっと自身にそう言い聞かせているのだろう、アレクシスの笑顔は硬い。なにも知らない、やさしい兄。アウロラの対極にいる存在。
「……はい」
アウロラは弱々しく頷いて、ことさら頼りない様子で歩いてみせた。その途中で、
「サイードを呼べ」
というシリウスの声が聞こえた。予想どおりだ。シリウスは、サイードにだけはよく懐いている。あとは彼に任せてしまえばよい。
実際は、エヴェルイート失踪の報など受けてはいなかった。だがそれは変えようのない事実なのだから、その情報源がどこであろうと構わないのだ。アウロラの思惑どおりに、事は進んでいる。
うつむきながら巡らせた視線の先、パルカイ民族の持つ夜を思わせる色彩のなかにひとつだけ、真昼の太陽のような金色が見えた。鮮やかな新緑色の瞳が、こちらを見据える。アウロラはすこし首を振り、両耳につけた紅玉の耳飾りを見せつけるように揺らしてやった。金髪のヴェクセン大公ベルナールが、その一見柔和な垂れ気味の目をわずかに強張らせた。
その、夜。慰めに来たアレクシスに頼んで、アウロラはひそかにベルナールと面会した。失踪するまえの許嫁の様子を知りたい、と涙ながらに訴えれば、簡単なことだった。人払いをして、ふたりきりになる。
「ご無事でなによりですわ、ベルナールさま」
にっこりとほほ笑みながら、先手を打ったのはアウロラだった。
「ああ、あなたも。じつにお元気そうだ、アウロラどの」
ベルナールも笑みを浮かべる。それを見て、アウロラは懐かしささえ覚えた。直接会うのは、はじめてだ。だが、ふたりはもう何度もやり取りを交わしていた。長兄シリウスがマティアス帝と結託したように、アウロラもベルナールと手を組んでいたのである。
「許嫁が行方不明だというのに。……とでも言いたそうなお顔をしていらっしゃるわ」
「参ったな。本当に聡い姫君だ。では、単刀直入にお尋ねしようか」
そこでベルナールの表情が変わった。
「なにをした?」
アウロラはなおも笑顔で答えた。
「あなたにお話しする必要があって?」
ベルナールの目もとが険しくなる。
「エヴェルイートを守ってほしい、と私に言ったのは、あなただったはずだが」
「そうですわね」
「ならば私にはそれを完遂する義務がある。取り引きは公正に行われるべきだ」
「公正? あなたがそれをおっしゃるの?」
「なに?」
「わたくしの大切なひとを奪おうとしておいて」
言いながら、アウロラは紅玉の耳飾りに触れた。ベルナールの視線が一瞬、揺れる。それで確信を深めた。
「これはあなたのものでしょう、ベルナールさま?」
まっすぐに、視線をぶつけ合った。ややあって、ベルナールが答えた。
「いかにも。それは私があのひとに渡したものだ」
そう、と返事をしながら、アウロラは目を細める。
「ねえ、ベルナールさま。たしかに、おにいさまのことはあなたにお願いしたわ。けれどわたくし、ここまでしろとは言っていないの」
アウロラの胸には、静かな怒りがあった。だが表面に出たのは冷笑だった。
「惚れたの?」
今度は、ベルナールの視線が揺れることはなかった。
「……そうだな」
聞いた瞬間、アウロラは耳飾りをもぎ取るとベルナールの足もとに投げ捨てた。
知っていた。わかっていた。竜舎でエヴェルイートと再会したとき、なにかが変わっていることに、気づいていた。根拠などない。もしかしたら、それは女の勘などといわれるものなのかもしれない。だから根拠を得るために、エヴェルイートのまえで、わざわざベルナールの名を出したのだ。それに対するエヴェルイートの反応を、アウロラはしっかりと見ていた。きっと本人はまだ気づかないような、些細なものだったけれど。
いつも。いつも、いつもいつも。アウロラは、選ばれない。
「……それはお返しいたします。もう必要もないでしょうから」
乱れそうになる呼吸を制して、アウロラは言った。そのまま背を向ける。
「アウロラどの」
その背にかかる、ベルナールの声。そんなものは無視してしまえばよかったのに。
「あなたは、本当にそれでいいのか」
やけに耳に残る、どこか哀れむようなその響きが、煩わしかった。
「……あなたに言われる筋合いは、ないわ」
振り向くことなくぽつりと返して、立ち去った。
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